
街道沿いの様相
平安時代に空海が通った高野山と京を結ぶ道は、高野街道と呼ばれ、多くの人々に高野山への参詣道として利用され、街道や街道沿いの社寺が整備されていきました。 また、交通や流通の要所であったことから、高野街道沿いに烏帽子形城(えぼしがたじょう)が築かれました。

長野神社
長野神社の創建は、不明です。江戸時代には木屋堂の宮(きやどうのみや、こやどうのみや)・牛頭天王宮(ごずてんのうのみや)とも呼ばれていましたが、明治元年(1868)に長野神社と改称されました。毎年、1月に十日戎(とおかえびす)、10月には秋の大祭に合わせて「大松明神事(おおたいまつしんじ)」といった祭礼行事が行われます。また、本殿は重要文化財、境内のかやのきは、府指定天然記念物です。

烏帽子形城跡
烏帽子形城は、烏帽子形山(標高約182m)の山頂に築かれた戦国時代(15世紀半ば~16世紀後半)の山城です。
本城には、楠木正成(くすのき まさしげ)が築城した「楠木七城」という伝承などがありますが、明確な資料がないため、築城主や築城時期は不明です。本城は交通の要衝であった高野街道を眼下に収め、周囲に在った城を見渡すことのできる優れた眺望をもち、自然の地形を巧みに生かした構造であったことから、戦略上の重要な拠点として位置付けられていました。迫力のある土塁や横堀が現在も良く残っており、当時の姿を体感できること、歴史の中で果たしてきた役割が明確であることが評価され、国史跡になっています。

烏帽子形八幡神社
烏帽子形八幡神社は、烏帽子形山の麓、交通の要衝であった高野街道沿いにあり、烏帽子形城を鎮護するために創建されたと伝わっています。本殿は重要文化財で、棟札から文明12年(1480)に石川八郎左衛門尉が建立したことが分かります。

増福寺
増福寺は、室町時代の河内守護であった畠山義深(はたけやまよしふか)が隠居後にこのあたりで亡くなり、その冥福を祈るために建立されたと言われています。
内部非公開

月輪寺(がちりんじ)
月輪寺は、「月輪寺縁起」によると、平安時代初めごろ、諸越長者(もろこしちょうじゃ)が空海から与えられた薬師如来を、長者が亡くなった後、長者の妻が、現在の月輪寺の場所にお堂を建て、これを本尊として安置したことが始まりと伝えられています。ご本尊の薬師如来坐像(府指定文化財)は、毎年6月8日頃にご開帳が行われています。

八幡神社
烏帽子形八幡神社は、烏帽子形山の麓、交通の要衝であった高野街道沿いにあり、烏帽子形城を鎮護するために創建されたと伝わっています。本殿は重要文化財で、棟札から文明12年(1480)に石川八郎左衛門尉が建立したことが分かります。

延命寺(大沢街道周辺)
弘法大師 空海が、石に地蔵菩薩立像を刻んでお堂を建立したと伝わります。その後、廃寺となりましたが、地域の人々が守り続けてきました。1677年、地元出身の僧・浄厳(じょうごん)によって創建されました。毘沙門堂(びしゃもんどう)には、楠木正成の念持仏*と伝わる毘沙門天立像が安置されています。また、楠木一族の和田正遠(わだ まさとお)の墓所といわれる場所もあります。
*念持仏…個人が私的に祈るための仏像

川上神社(大沢街道周辺)
当初は、鳩原神社という名前でスサノオノミコトを祭神としていましたが、明治40年(1907)に近隣の神社が合祀され、川上神社となりました。本殿の裏手には石積みの塚があります。これは、観心寺の造営に関わった真紹(しんしょう)あるいは長慶天皇(在位1368-1383)の墓と言われています。毎年10月には、稚児相撲という満1歳の子どもの泣き相撲が行われます。

鳩原弥勒堂(大沢街道周辺)
川上神社の境内にあるお堂です。かつて鳩原地区は観心寺の重要なお膝元の寺領として、観心寺の経済を支えていました。鳩原弥勒堂は、観心寺の奥之院であったという伝承が残されています。
内部非公開

鳩原大日寺(大沢街道周辺)
鳩原地区にあるお寺です。かつては本尊として鎌倉時代(13~14世紀)の大日如来像が安置されていましたが、現在は観心寺に寄託されています。
内部非公開

太井八幡神社(大沢街道周辺)
観心寺の寺領であった、太井地区にあります。元は山の中にありましたが、1940年代頃、同じ場所にあった極楽寺と共に現在の場所に移されてきました。

小深天狗堂(大沢街道周辺)
観心寺の寺領であった、小深地区にあるお堂です。創建年代は不明です。天狗堂は別名を天王堂ともいい、現在でも信仰を集めています。
内部非公開

山本家住宅(大沢街道周辺)
江戸時代中期(17~18世紀)に建てられました。山本家は江戸時代に庄屋を務めており、この地の藩主がシシ狩りを行った際に本陣になったと伝えられています。間取りや土間の配置方法は、河内長野周辺の伝統的な民家の特徴をよく残しています。
内部非公開

岩瀬薬師寺(大沢街道周辺)
観心寺の寺領であった、岩瀬地区にあります。山号は医王山(いおうさん)です。本尊は薬師如来立像で、脇侍は不動明王立像と毘沙門天立像、いずれも市指定文化財であり、制作時期は、平安時代後期から鎌倉時代初め頃(11~12世紀)のものと考えられます。 境内の北側に砂岩製の五輪塔(府指定文化財)があり、1341年に造立されたことが分かります。

青賀原神社(天野街道周辺)
天野谷にある神社です。丹生高野明神、高野大明神が祀られていると言われています。天野谷が金剛寺に寄進された後、天野谷を守るために勧請されたものと考えられます。

下里観音堂(天野街道周辺)
創建年代は不明です。下里地区の人たちの身近な信仰のよりどころとなっています。
内部非公開
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