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中世に出逢えるまち 河内長野

中世に隆盛した2大寺院

河内長野市には、中世に隆盛した観心寺、金剛寺の2大寺院があります。両寺とも朝廷との関係が強く築かれたことから隆盛し、南北朝時代においては約10年間、南朝(後村上天皇、長慶天皇)の行宮となり、政治の中心地となりました。金剛寺においては塀を隔てて北朝(光厳・光明・崇光上皇)と共に一時期過ごすという歴史的な舞台にもなりました。

観心寺

観心寺

観心寺は、高野山を開創した空海が布教拠点の京都と瞑想道場の高野山の中宿*としただけでなく、弟子に伽藍を整備させたことで、真言宗発展の重要な拠点となりました。このことから、嵯峨天皇が祈願する寺院となり、後に朝廷の定めた官寺である定額寺に列せられ、発展しました。ご本尊の如意輪観世音菩薩は空海が刻んだと伝わっています。権力者との繋がりを強めることで、寺院経営の基盤を強化し、繁栄しました。
*中宿(なかやど)...途中休むための宿

天野山金剛寺

天野山金剛寺

金剛寺は、奈良時代に行基が開創し、空海が修行したと伝わります。一時衰退していましたが、高野山を下りた僧・阿観によって再興されました。観心寺と同じく朝廷と強い関係を持つと共に、源頼朝など武家の庇護も受けることになりました。南北朝時代には、一時期、塀を隔てて南朝と北朝の行宮*が共にあるという歴史的な舞台となりました。
*行宮(あんぐう)...天皇の仮の宮殿

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河内長野市日本遺産推進協議会

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